The Left Hand of Darkness (1)/ Ursula K. Le Guin




7冊目。Ursula K. Le Guinの"The Left Hand of Darkness"(『闇の左手』)を読了した。1970年ヒューゴー・ネビュラ、ダブル受賞。SF文学というジャンルの懐の深さのようなものが遺憾なく発揮された傑作だと思う。すばらしくも、なかなかに味わい深い作品だった。

本題に入る前に、「がわ」のことから。この一冊も例によって30年以上前の中学生の自分には、早川の旧版の「ソヴィエトのおっさん風のポートレートイラスト」の表紙絵だけで「あとまわし」にしてしまった食わず嫌いの一冊だった(表紙絵の画伯には申し訳ない)。どうも評判はいいらしいのだが、「フェミニズム」とか「ジェンダー」といったタームがよみたくなる気持をさらに遠ざけていった。しかし、これはまったくもって間違いであることに、自分がおっさんになってようやく気づいた。読んで見なければわからないものだ。ちなみに、同じ早川の新版の表紙は2名の主人公のなるほどという雰囲気のある後ろ姿。自分の読んだAce Book版の表紙は何か違う感じがしてこちらはどうもいただけない。現行のOrbit版の方が的を得てる。

たまたまおなじみ羊頭書房で手に入れてから、意を決して読み始めて読了まで3週近くかかってしまった。もちろん自分の英語力の乏しさの故なのだが、Le Guinの創造する世界観を咀嚼するのも努力が必要で、一章を読んだあたりで、これはイカンと思い、通常登場人物くらいをメモる所、あれこれ図のようなものを起こしていくことになってしまった。それだけ構築された世界が興味深かったわけだ。トールキンのように、舞台の地図くらいあると嬉しかったのだが、まあ想像を巡らすしかない。

舞台は Gethenという、年中冬に閉ざされたやたらに寒い惑星である。Winterとも呼ばれるこの星の住人は遠い昔、Hainより入植した人類の末裔である。長い時間の経過とともにGethenは忘れ去られ、孤立した星は独自の文化を形成していく。いくつかの国に別れ、中でもKarhideは専制君主が統治する王国であり中世の封建国家のような社会、文明レベルは産業革命ころくらいで車やラジオがある。軍事レベルもさほどではない。同時にHanddarataと呼ばれる予言者が存在する。またそのライバルであるOrgoreynは旧ソビエト的な冷徹な官僚国家を築き、こちらは文明的にも社会的にも多少進んでいるが、そう大差はない。

このような舞台設定ゆえに、例えば"doth""doeth"といった見慣れない古典的な文体が多々あり、当然米語のようなくだけた表現は皆無なので、映画「薔薇の名前」のような陰鬱な中世様式の静寂感を醸している。会話は非常に熱の低いトーンが特徴だが、これは寒いからではなく物語の核心と密接に関わっているので後述しようと思う。

さて、時に忘れられた小さな星、Gethen以外の人類はどうしているのだろうか。実は人類は80以上の惑星と、そこに築かれている3,000近い国家が、星間航行を光速船と人工冬眠で可能にし、あらゆる対立を克服したひとつの共同体社会Ekumanを形成していた。このEkumanという思想は実に60年代的で(1969年作)ある種のユートピア的な楽天思想だが、それは少し置くとして、Gethen暦1491、Ekumanより一人の男がenvoy(使節)としてKarhide王国を訪れていた。彼は大柄の黒人で、小柄なGethenianの中で目立つ存在であった。
彼の名はGenry Ai。この物語の主人公だ。

(つづく)


  


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